"I AM SAM"(2001年)
"WHAT'S EATING GILBERT GRAPE"(1993年)
この2本には”事情”をもった人物が登場します。
通常は障害~障がい
という言葉を用いるのかもしれませんが
私は事情、という言い方がしっくりくるんですね、
あくまで自分が自分に対して
だけですけれども。
「映画的」にはまず
この二人が上手い!
驚異的なレベルで演技が達者です。
”大人”の俳優も好演です。
(アイ・アム・サム)
"ギルバート・ブレイク"には
とても印象的なシーンが幾つかありますね。
ジョニー・デップは受けの演技を要求されていて
なかなか厳しい役どころだと思いますが
さすが、難なくこなしています。
詳しくは本編をじっくりご覧頂くとして
私はこの映画、単なる
感動的な~
ハートウォーミングな~
涙を誘う~
2時間の体験とは思わないんですね。
自分で折り合いがつけられる事情の人は
自分で”やりくり”すればそれで良し。
しかしそうでない事情を持つこともある。
その時には周囲の人とやりくりする必要があるわけです。
そこで問題というか摩擦が生じがちなわけですが
「私、事情というものがないのです。ありませ~ん」
という人はまあ、居ないわけです。
というか複数の事情を同時に幾つも持っている場合が
およそほとんど。
ですんで、ある事情を持った人が
これまた何らかの事情を持った人と関係性を結ぶことになるわけで
そこには本来、対立や上下の関係はうまれないはずなんですね。
だってどちらも出来ないことは出来ないんだから
出来ることはお互いもう一人でやってるんだから
俺たち、事情持ちだよね
ムフフ・・・
君、持ってる?
ウン。
俺も持ってるんだよ。
だよね・・・
ということを
この2本は教えてくれているのではないかなあと。
この世界には実にさまざまな事情があるようで
それは世の東西を問わず
性別にも年齢にも関係が無いようです。
事情の無い人は
事情がある人の事情を分かりえないかもしれませんが
どうやらそういう人は見かけません。
”事情繋がり”で、これからも
ぼちぼちいくというのはどうでしょうか。
眠くなった、という事情が生じましたので
この曲を聴きながら
また明日ということで・・・
KENNY RANKIN On And ON