日本ではどの程度報道されているか分かりませんが
今タイでは、バンコクだけでなく
全国的に市民による集会が
街頭で繰り広げられています。
先日は最寄りの電車駅に数千人規模の人が集まっていました。
こういった光景は決して珍しいものではないのですが
今回は大学生や高校生、なかには中学生の姿も。
制服姿ですから下校途中なのでしょう。
ちょっと日本では考えられないかもですね。
自分の気持ちを素直に表明する~
”私は私の心に従う”
というマインドはタイの人と話していますと
常日頃よく感じることでもあります。
さて、ここからが超珍説なのですが
何故そのような自由な気風が生まれるかというと
幼少時からの食生活にその源があるのではないかと。
日本ではですね、
子供に対して家庭や学校で
割と厳しく指導しませんか、日々の食事について。
”野菜も食べないとダメでしょ”
”なんで残すの、勿体ない”
お母さんも頑張りますよね。
子供の嫌いなものがあると
細かく刻んだり味付けに工夫して
なんとか食べさせようとする。
タイではですね、およそ
そういうことがないんです。
”おや、食べないのかい? そう、お前はそれが嫌いなんだね。
じゃあ別のものにしなさいな”
実にあっさり、シンプルです。
本人が嫌だといってるものを強制しても仕方がない。
他に食べるものが無いわけでもなし、です。
そうしますと、成人してからも
(日本人からみると)食の好みが偏っているように
見えるのは確かです。
食材や味付けが気に入らなければ箸が進まず
&残すことにも躊躇なし。
日本人は食べ残し、非常に嫌いますから
この点も大きく違いますね。
皿に料理が残っている、という状態が
「許せん!我慢ならん!」
という方も多いのでは?
片付けマンとして、勝手に
取り分けていく人も居ますよね。
もしタイの人が同席者だったら
”いや、遠慮しているのでなく
(嫌い、すでに満腹)なので
ただ食べたくないだけなんですけど”
と内心苦笑~有難迷惑の場面です。
食生活って毎日のことですから
延べにすると膨大な回数ですよね。
毎回ではないにしても
自分の好きなものを自分好みの味付けで頂く。
嫌いな食材や料理には手をつけない。
お腹がいっぱいになればそれ以上無理はしない。
この積み重ねが
”人はそれぞれ、あなたはあなた、私は私”
というフィーリングをね
育んでいるのかなあと。
LGBTの人たちや外国人への寛容さ
にも繋がっているような気がするんですね、
この国での。
以上、
あくまでただの私的体験から得た
イメージですけれども。
さあ、自分もフードコートに行って
好きな料理を好きな味付けで(唐辛子、砂糖、ナンプラー、お酢、香草、ライム・・・)
楽しむことにしよう。