晩年まで芸能活動を続けていましたので
若い世代の方にも知名度が高かったのではないでしょうか。
芸能界入りの前は車のセールスでトップの成績をおさめていたこと、
600人の倍率を突破して植木等の付き人になったこと、
その植木から”もう車の運転をしなくていいよ”と車中で告げられ
思わず号泣したことなどのエピソードは
生前、ご本人もよく語られていたので
各メディア記事でも紹介されることが多いようです。
昭和30年代後半から40年代前半にかけて
圧倒的な人気を誇ったテレビ番組 ”シャボン玉ホリデー”について書かれた
「シャボン玉ホリデー スターダストをもう一度/五歩一勇著/日本テレビ」
では、小松政夫についてかなり多くの頁が割かれています。
小松政夫の初登場は昭和41年、その回の脚本は谷啓によるもので
まさにご祝儀デビュー、ということなのでしょう。
(私は3~4歳でしたので、残念ながら当時の記憶はありません・・・)
クレージー・キャッツ~なかでも植木等への
リスペクトと感謝の心持ちは、
「植木等伝 わかっちゃいるけど、やめられない/戸井十月著/小学館文庫」
でも語られています。
(植木等について尋ねられた小松は感極まり、インタビューが中断します)
リアルタイムでの記憶でいえば
中村雅俊主演の学園ドラマ ”ゆうひが丘の総理大臣”(1978年)
での教師役が印象に残っています。
というあまりにも素晴らしい布陣。
手慣れたドタバタ演技を毎週楽しみにしていたものです。
盟友、伊東四朗との数々のコントもあまりにも有名ですね。
スマートでくどすぎない~引き際が綺麗なところが
伊東四朗の持ち味とうまく噛み合ったのではないでしょうか。
”伊東・小松のコンビ芸を確認したのは。1975年(昭和五十年)春からTBSで始まった「笑って!笑って!60分」であった。土曜日の昼間の番組で、伊東・小松はメインではなかったのだが、この二人しか見るところがなかった。テレビで、こんなに熱心にコントを演じている人たちはもういなかったのである”
という記述があります。
時代と共に笑いの本質が変化していくなかで、
この二人が”喜劇人”の最後の砦だったということですね。
小松政夫の笑いの特徴は
圧倒的な観察眼から構成されているように思います。
周囲の人間(&有名人)の行動をそれこそ魚眼レンズで見つめて
そのなかで「使える部分」を拾い上げてデフォルメする。
この一連の作業の精度ではまさに
日本一の名優さんではなかったでしょうか。
また、いわゆる”小松節”の数々は
よく言われる「ギャグ」の類ではなく
フレーズの連打なんですよね。
しかも旋律まで計算されてるという。
その面でも唯一無二の存在感がありました。
近年では、海外でも高い評価を受けた
黒沢清監督の”岸辺の旅”(2015年)での
佇まいがまさに圧倒的。
今は植木さんと大いに盛り上がっていることでしょう。
謹んでご冥福をお祈りします。