バンコクマインド

タイの過去現在未来と音楽映画書籍の旅

被爆の恐怖を丁寧に記録する~新藤兼人監督の ”第五福竜丸”

f:id:bkkmind:20210226103413j:plain

 

新藤監督の1959年作品。

1954年のビキニ環礁における

アメリカ軍の水爆実験で被爆した船員たちを描いた、

セミドキュメンタリーともいえる内容です。

 

f:id:bkkmind:20210226103754j:plain

 

マグロ漁船の第五福竜丸

家族に見守られて静岡県の焼津港から

出航します。

 

f:id:bkkmind:20210226103947j:plain

 

マグロの群れがなかなか見つからず

より良い漁場を求めて航路を辿っているうちに

マーシャル諸島近海のビキニ島沖で被爆

 

f:id:bkkmind:20210226104707j:plain

 

乗組員は日本に帰港するまでに

既に体調に異変を生じ、

死の灰”を浴びたことで皮膚は黒く変色しています。

 

船員たちの身体から放射能が検出されたことにより

メディアの報道合戦が過熱し

マグロの不買運動なども始まります。

 

f:id:bkkmind:20210226105430j:plain

 

多くの船員が回復していくなか

無線長(宇野重吉)の体調は戻りません。

 

f:id:bkkmind:20210226105635j:plain

 

被爆から約半年後、遂には帰らぬ人となります。

茫然と立ち尽くす妻(乙羽信子

葬儀は盛大に執り行われるのですが・・・

 

f:id:bkkmind:20210226105923j:plain

 

新藤監督には

広島の原爆被災をテーマにした

”原爆の子”(1952年)という映画もありますが

どちらの作品も声高にメッセージを叫ぶという撮り方ではなく、

むしろ淡々と「起きたこと」を記録して

観る側の判断に委ねるというスタイルを取っています。

そこに監督の揺るぎない信念を感じますね。

(福竜丸の船員にはアメリカ政府からは ”見舞金”という名目での金銭が支払われましたが、正式な謝罪は行われていません)

 

f:id:bkkmind:20210226111316j:plain

 

被爆を扱った作品は多数ありますが

上掲の2冊も克明なルポルタージュです。

東海村の事故は1999年でしたから

広島、長崎から半世紀以上が経っていることになります。

 

f:id:bkkmind:20210226111932j:plain

映画検定 公式テキストブック」(キネマ旬報社

 

この映画はその年のランキングで第八位に選出されていますが、

見渡してみますと、トップ10のうちのほとんどが

社会的な題材を扱っていて

いわゆる恋愛映画は2本くらいしかありません。

 

1959年、終戦から14年が経過していますが

この頃が映画の興行ピーク時期で

観客数や映画館数がもっとも多かったはずです。

ということは、当時の日本で

非常に多くの人たちがこれらの作品を観ていたということですね・・・