溝口健二監督の1952作品。
これは強烈、画面からヒリヒリした緊張感が伝わってきます。
監督の作品でいうと
全体の完成度、スケールの大きさでいえば ”雨月物語”
流れるような場面展開、まさに名人芸の ”近松物語”
なんですけれども
気迫がですね、監督と主演の田中絹代の~
これが尋常ではないんですよね。
時は江戸時代
お春という名の女性の一生を
田中絹代が演じ切ります。
撮影時、絹代はすでに40代でしたので
冒頭の若い時分の場面がやや苦しいのは否めません。
(絹代に想いを打ち明けるのは若き三船敏郎)
この作品の真骨頂はそれ以降の場面で
これでもかという不幸が絹代に降りかかります。
1つ、2つということでなく
立て続けに、畳みかけるように。
溝口監督は戦中~戦後にかけて
思うような映画が撮れず
心中、焦っていたようです。
井原西鶴の原作はまさに監督好みの内容で
この一本にかける監督の気迫が
(新藤監督は溝口監督のお弟子さん筋)
ちょっと該当する記述をみてみましょう。
”溝口健二は一歩も妥協することなく、シナリオのイメージどおりに演出プランを押し通そうとした。<中略> チーフ助監督の内川清一郎(のちに監督)は新東宝から派遣された現場の責任者だが、あまりの暴君ぶりに呆れはてて帰ってしまった”
”絹代は、これを見て、先生(溝口監督)はこの作品と心中しようとしている、とみた”
”絹代は勇み立ち、いまこそ、老醜をさらけだそうと覚悟した。<中略> 溝口健二がこの作で心中するなら、田中絹代も心中しましょう<後略>”
失敗作が続いて「もう古い」と批判されていた監督
年齢を重ねて「老醜」と言われ始めたスター女優
両者の崖っぷちの状況が
迫真の名場面を産んだというわけですね。
あと、この作品はカメラ(平野好美)が圧倒的です。
絹代をはじめ出演者に限界まで肉薄していますし
各セット(荒寺の羅漢像、島原の遊郭、荒れ果てた夜の辻など多数)の
撮影の巧みさは息を呑むほどです。
お茶とかビールを飲みながら・・
ソファに寝っ転がって・・
友達と軽くおしゃべりしながら・・
そういう観方には正直向いていなくて、
気軽に楽しめるという映画ではありません。
しかし未見の方が居られましたら
是非に本編(2時間半と長いのですが)を
ご覧くださいませ。
監督、スタッフ、役者さんの
気迫のぶつかり合いに
圧倒&引き込まれること
間違いなしです。
予告編