推理小説のジャンルで
昔からもっとも人気のある
「密室」もの。
日本の小説では
江戸川乱歩の ”D坂の殺人事件” ”屋根裏の散歩者”
などが特に有名ですね。
近年、特にこの分野で力作を連発しているのが
貴志祐介の
防犯探偵・榎本シリーズ
”硝子のハンマー”
”狐火の家”
”鍵のかかった部屋”
”ミステリークロック”
など、いずれも凝りに凝った
密室(空間)が設定されていて
犯行方法も奇想天外な
それこそ、発明といっても過言ではないレベルです。
主人公榎本と女性弁護士青柳の
かけあいが笑いを誘う
コメディ色も強い内容で、テレビ化もされているようですね。
(原作で単行本化されているものは全部読みましたが、映像のほうは未見です)
この手の作品でちょっと気になるのは
どうしても無理が出てきちゃう箇所があるんですよね。
いやあ、それはいくらなんでも無理なんじゃない?
そんな準備(密室への侵入に必要な道具を揃える等)、
普通出来ませんよ。
とか、
そもそも犯行の動機が弱すぎるんじゃない?
なにも殺人まで企てなくても・・・
などと感じちゃうことが割と多いんですよ。
現実離れしてて、リアリティが希薄といった。
上記の貴志作品は敢えて、そこを狙ってるようにも思いますが
好みで言えば
トリック云々やその種明かしがメインテーマでない
初期作品のほうに、やはり惹かれますねえ。
推理小説に限らず
考えてみると、相当数の小説は
話の舞台が「密室的」ですよね。
ストーリー展開に緊迫感を持たせることが出来ますから。
そのスペースが狭いのか広いのか
で、また違った味わいが出てくるような。
ポーの ”早すぎた埋葬” とか
スティーヴン・キングの ”クージョ”
(狂犬病に罹った大型犬が、故障した車に閉じ込められた親子を執拗に襲う)
などが「狭い」タイプの代表的な例。
「広い」パターンでは
大型ショッピングモールに籠城して、膨大な数のゾンビと死闘を繰り広げる
”ゾンビ”(1978年版の映画)や
キングの ”シャイニング”
(豪雪に閉ざされたホテルで、精神を病んだ夫と闘う妻と子供)
などが有名どころ。
エレベーターや棺桶のなか、というわけではないので
走ったり隠れたりすることはできる。
でも、迫りくる恐怖からは結局逃げられないというのも
また怖いですよね。
閉じ込められた空間が、村とか町全体という
パターンも多いですね。
住人の様子がどこかおかしいという。
映画の ”シャイニング” (キュ―ブリック版のほう)では
ホテルの館内と庭園の双方で
巧みに閉ざされた空間を演出していたのが
印象的でした。
屋内でも屋外でもアウト、
というのは真の恐怖であります・・・