”ニッポン無責任時代” といえば
全部で30本も作られた
クレージーキャッツ関連映画の最初の作品。
次作の”ニッポン無責任野郎”とともに
シリーズ中でも高く評価されています。
製作年は1962年~昭和37年
”最初の”東京オリンピックの2年前のことです。
いわゆる「昭和の高度成長期」の
真っ只中の時期ですね。
クレージーのメンバーは
既にこの頃、30代。
シリーズの後期になると年齢を感じてしまう場面が多くなり
役柄にも無理や限界が出て来てしまうので、
やはり初期の作品のほうが元気があって良いですね。
クレージー映画の面白さといえば
音楽パートですけれど
この映画で使われている楽曲はいずれも
クレージーの代表的ナンバーばかりで
その意味でも充実度高し。
”やせがまん節”
”スーダラ節”
”ドント節”
”五万節”
”ハイそれまでョ”
”無責任一代男”
作詞作曲は勿論、黄金コンビの
有名なシーンが色々あって、それらは
既にマニアックなレベルで解説されているでしょうから
そうではない、地味な(しかし、妙に笑える)
場面を見ていくことにしましょう。
初出社でいきなり遅刻する植木を怒る谷啓
「いったい始業時間は何時だと思っているんだ」
「概ね、9時かと」
おおむね、という表現が可笑しいですね。
マドンナ役の重山規子
社長(ハナ肇)の秘書役なのですが
衣装が凄いです。
歩き方もモンローウォークでセクシー度全開。
日劇ダンシングチームの花形だった人なので
スタイルもよく、植木とのかけあいも快調。
団令子(ハナが気にいっている芸者役)と植木のやりとり
「今度の日曜日、会えるかしら」
「日曜日っていうと・・・何曜日だっけかな」
(その後、植木どつかれる)
派手なシーンよりも、こういう部分が印象に残るんですね。
個人的にはツボに入りまくり。
最後はちょっとトリビア的にいってみましょうか。
映画のラストシーンは
横浜プリンスホテルなのですが
磯子の丘陵にある見渡しの良い広大なロケーション。
皇族(昭和天皇の義兄)の別邸として
1937年に建築された邸宅を貴賓館として保存。
ホテルは1954年にオープン、1990年に改築後
2006年に閉館という歴史を辿ります。
その後はマンションとして売り出され、
現在はスーパーやカフェなども併設された
複合レジデンスになっています。
丘の上に行くには徒歩ではしんどいわけですが、
住人は麓からの直通エレベーターを利用できるので大丈夫。
と、話はずれてしまいましたが
まだ若々しいクレージーの面々が躍動するこの映画
未見の方が居られましたら、是非一度は。
この後に作られた
古さを感じることが少なく、モダンな感覚があります。
おそらく若い世代の方だと、
「日本ってこんなに元気で明るい国だったんだ」
とびっくりされることでしょう・・・