”イアラ” は1970年に青年誌で連載された
楳図かずおの作品ですが、非ホラー系の代表作として
評価の高い一冊です。
地球の誕生からその終末までを描いている
スケールの大きさに加え
哲学的とも言える科白も多く登場する
一筋縄ではいかない内容構成になっています。
私が思うには、この作品のテーマは2つ。
一つは「寛容」と「不寛容」について
二つめは、時間の経過の「裂け目」とでも言えるものでしょうか。
いきなり映画の話になってしまいますが、
かのグリフィス製作の ”イントレランス”(1916年)に
こんなシーンがあります。
華やかなパーティー会場で
若くハンサムな男に魅せられる女性
しかし男の関心は別の女に・・・
テーブルの上に置かれた鏡をふと覗いてみると
そこには老いた顔をした自分が写っていたのでした
人生の夏はもう終わったのです
それは2度と戻ってくることはありません。
華やかなダンスに身を任せる日々は過ぎていったのです
”イアラ” でも
時代設定を変えて、同様の問いかけが為されています。
人は、かつて当たり前に存在したもの
子供時代の無邪気さ~若さ~溢れるばかりの情熱・・・を失った際に
自分を許せるのか?
他者を許すことが出来るのか?
以前の輝きと想いを
取り返す手立てがあるのか?
もしそれが不可能であった場合、
自分の身に待ち受けているものは?
ひいてはこの惑星の運命は?
”わたしは真悟” では
子供と大人のあいだにある絶対的な境界線が
モチーフでしたけれど、
本作の一組の男女の宿命
(第一章に登場する女の名前「さなめ」は、そうであろう~ひいては「定め」の意を表しているのでしょうね)
と、地球年代記を重ねた描写は
のちの大作 ”14歳” にも引き継がれていますね。
”イアラ” と ”イントレランス”
数日間は、いえいえ
何週間でも楽しむことが出来ますよ。
一冊の漫画と一本の映画で。
INTOLERANCE Trailer