ポーランドの巨匠
アンジェイ・ワイダ監督の ”灰とダイヤモンド”(1958年)
これはもう映画史に残る作品として
完全に評価の定まった殿堂入りの一本ですね。
で、ランキング本などを見ても
常連組なんですが、
必ず使われる画像が、映画ではラストにあたる
ゴミの山で主人公が息絶えるシーン。
それにストーリーの紹介文を合わせると
さぞかし全編、アクション満載で追いつ追われつ・・・
みたいな内容を想像しません?
でもそうじゃないんですよね、全然。
確かに冒頭、主人公や仲間による銃撃(暗殺)の場面からスタート。
しかしこの後、スピード感溢れるチェイスが始まるのかなと思いきや
そうではなく、
以降はラストまで、ほぼ屋内
それもずっと同じ場所(ホテルのレストラン&バー)が舞台。
勿論、ピストルを撃ちまくってなどということはありません。
「あらっ? いつまでも会話してるだけだ。なんか想像してたのと違うけど」
と感じる人も多いような気がするんですよ。
(私も当初、そうでした)
で途中で気付いたんですが、監督の狙いは別のところにあったんですよね。
ワイダが見せたかったのは
アクション云々でなくて、テクニックを活かした
至近距離でのショットだったんですよ。
主人公の青年(ズビグニエフ・チブルスキー)は
落ち着きが無いんです。
もうやたらに歩き回るわけです、レストランのなかで。
で彼と会話をする人物たちとの距離感~くっついたり離れたり
を非常に技巧的に撮ってるんですね。
この日(の設定)は1945年5月8日、ドイツ軍降伏という
記念碑的な一日なわけです。ポーランドの人たちにとって。
主人公は勿論のこと、あらゆる人々の心情~過去・現在・未来に至る~
その揺れ動きを、青年を狂言回しとして
描きたかったのではないかなと。
そういう視点で観ると、また違った魅力が浮き上がってくるように
思うんですよね。
もし、ハラハラドキドキ路線ということなら
前作の ”地下水道” のほうが適っているかなと。
青年は最後、一人で息絶えます。
それまでは誰かと一緒、必ず人が居るんですね
ごく近くに。
しかしこの世の最後の時間には誰も(敵も味方も)傍らに居ない。
あらゆる人との距離感を喪失してしまった
その瞬間をこそ、観客に提示したかったのだろうと
勝手に解釈して
また観直してみることにしてみよう・・・
Ashes and Diamonds Trailer