ピーター・ウィアー監督の
”Picnic At Hanging Rock”(1975年)
これは非常に独特のタッチがある作品で
謎めいたストーリーと共に
映画ファンの格好の議論&研究対象になっていますね。
全寮制の女学校(時代設定は1900年)が舞台になっていて
うら若き少女が多数出演。
学校の教師や生徒たちも認める完璧美人。
前半で消えてしまうのですが・・・
ある日、学校の生徒たち(全員ではありません)と
付き添いの教師はハンギング・ロックと呼ばれる岩山へピクニックに。
途中からミランダ含む数人の様子がおかしくなり、
フラフラと岩山の奥に消えていってしまいます。
女性校長(レイチェル・ロバーツ)以下、
学校関係者はパニック状態。
町の住人達も捜索に乗り出すのですが、手掛かり無し。
一週間後、一人だけ気を失った状態の生徒が発見されます。
しかし当時の記憶を完全に喪失。
結局ミランダ含む残りの生徒達は死亡したのだろうということに。
一方学校では別の事件が発生。
ミランダを慕っていた生徒のセイラ(ピクニックには参加せず)が
寮から飛び降りて自殺してしまいます。
学校の悪評はどんどんと拡がっていき、
学校を去る教師や生徒が続出。
校長のイライラは募るばかりで
酒が手放せなくなります。
・・・
で、終わりなんですね。
えっ?
遭難事故の真相については全く触れずじまい。
超歯切れの悪い結末なのですが
実は、劇場公開版ではカットされていたエンディングのシーンがあるのですね。
ちょっと観てみましょう。
一連の事件後、校長は喪服姿で一人
岩山へ向かいます。
と、岩の上から人影が。
それは自殺をしたセイラでした。
茫然と、しかしそうなることを予期していたかのような表情の校長。
この後、誘われるように岩山の奥へ入っていきます。
数日後、校長の遺体が発見されたのでした・・・
このシーンがあると明快になりますね。
全体の流れが。
(以下、私的解釈ですが)
岩山の向こうは別の世界なんですね。
入れる人と入れない人が居るんです。
(ミランダが誘い手です。列の先頭に居ましたし、セイラを導いたのもミランダ)
岩山の奥に消えて行ってしまう生徒たちはその前に
靴下を脱いでいます。
しかし、入らない(興味を示さない)生徒は靴下姿のままです(左奥上)
また、セイラが飛び降りた場所は植物室なのですが
オジギソウがクローズアップされるカットが挟み込まれています。
指を触れると葉が閉じます。
これは岩山のメタファー(隠喩)になっています。
ピクニックの当日、出かけるアマンダを屋上から見送るセイラ。
校長を岩山から見下ろす構図と同じです。
校長は映画のなかで、かなり俗悪な人物として描かれていて
(セイラに対して特に厳しく接する)
そういう人物は岩の奥の世界には入れないんですね。
例え入っても、命を奪われてしまう。
(一人助かった生徒は命には別条なし。まだ来るのは早いということでしょう)
その他、様々な絵画やオーストラリアに固有な動物などが登場。
それらにも隠喩が秘められています。
しかし基本は、「こっちの世界とあっちの世界」の境界を
描いた作品だと思いますよ。
Picnic At Hanging Rock Trailer
学校の女生徒たちが気になって仕方がない
二人の年頃の少年のシーンなど、
ちょっと冗長な部分もありますが
(救出された女の子の発見者。岩山の奥は男子禁制であることが分かります)
ハマる方はどっぷりハマる116分であります。
直接的な繋がりは無いのですが
同じくオーストラリアを舞台にした
貴志祐介の ”クリムゾンの迷宮” は
本作にインスパイアされた箇所があるかなと。
(特に結末、V字谷からの脱出シーン)
こちらはサイバー&サバイバル小説として
出色の小説です。
やはりハマる人はハマりますよ。