私は年齢からして
べったりのドリフターズ世代なんですが
ドリフのトリビアで
というのはよく知られているネタのひとつ。
長さんの自伝やドリフ関連の書籍を読んでみても
明確な否定がされていなかったりするので、
「なにか」が二人のあいだにあったのでしょうね。
まったく個人的な見方なんですけどね、
それは音楽に対するスタンスなのかなと。
志村以外のメンバーって、(前任の荒井注を含めて)
ミュージシャン~バンドマンなんですよね。
ドリフの先輩格クレージーキャッツもそうでした。
メンバーの何人かは、その演奏技量自体が
高く評価されていました。
かのフランキー堺も自分のバンドを率いていましたね。
”まずコメディアンは、音楽が分からないといけない”
といった発言を残しています。
志村加入前のドリフって、そういうい意味では
アンサンブルの笑いなんですよね。
身体の動きとかリアクションのベースが音楽のリズムなんですよ。
でも志村けんは違うんですよね。
(プライベートではソウルミュージックのマニアだったようですけど)
この人の笑いの源は、「芸人」のリズムなんです。
だからある意味、グループのなかでは浮き上がっていく部分があったのかなと。
ギター、ドラムス、ベース、管楽器、ボーカル、ピアノ・・
といった具合にメンバー間で、笑いのパートを振り分けていたのが
初期のドリフやクレージーだとしたら
志村けんの笑いって、基本はソロ演奏ですよ。
(ジャコ・パストリアスのベースプレイみたいな。無茶苦茶な例えですけど)
Jaco Pastorius Bass Solo
あるいは相性が良い相手との
ハマるかなと。
後年、自分の一座を組んだりしていましたけども
ハナ肇とか長さんのようなタイプとは
やっぱり違うような気がしますね。
萩本欽一~欽ちゃんも若かりし日々に
君はリズム感が無い、と怒られて
ドラムの教則本を買って猛練習を積んだという
エピソードがあります。
(コメディアンを辞めて楽団に入らないか?と誘われるまでに上達したそうです。でも欽ちゃんの笑いも芸人さんタイプですね)
(伊東があまりにうまく歌いこなすので、江利チエミも驚いたとか。泣いている赤ちゃんが泣き止むという財津のCMソングも有名)
反対に、
歌手やミュージシャンで
コミカルな芝居が達者な人が多いというのも
頷けるような気もします。
「音楽家で例えるなら
この芸人さん、誰になるかなあ」
なんて妄想するのも
乙なもんでございますよ。
参考資料
日本の喜劇人/小林信彦
いかりや長介という生き方/いかりや浩一
シャボン玉ホリデー/五歩一勇
昭和の爆笑喜劇/日本アート・センター