日本のロック~ポップスを
もっともよく聴いていたのがこの時代。
名作目白押しの充実&黄金時代を
ちょっと振り返ってみましょうか。
シュガー・ベイブの唯一のアルバムが発表されたのが
1975年春。
山下達郎のファーストソロが1976年末
大貫妙子の第一作は同年秋
ター坊のほうがリリース、早かったんですね。
これらの作品よりもちょっと前に聴いていたのが
チューリップやオフコースでしたね。
チューリップなら
“ TAKE OFF(離陸)”
"ぼくがつくった愛の歌”
といったキャリア通じての代表作が74年発売。
私のアイドル チューリップ
同じレーベルに所属していたオフコース。
最初の3~4枚は愛聴していましたね。
なかでもセカンドの ”この道をゆけば” は
ベストオブベストかと。
わが友よ オフコース
ファーストが73年、”黒船” が74年。
当時の音楽雑誌の広告写真などは
日本のグループじゃないような「洋物」感がありましたねえ。
60年代から活動をスタートしていた
ロンドンレコーディングの ”IMAGES” が73年
翌年に代表作の”BARBECUE” でしたね。
ふうらいぼう 小坂忠&吉田美奈子with ティン・パン・アレー
”HORO”が75年
そこで際立ったボーカルを披露していた
吉田美奈子の ”扉の冬”(73年)”FLAPPER”(76年)
もう連続ホームラン、ハットトリックの世界ですね。
御大、井上陽水は
”氷の世界”(73年)”二色の独楽”(74年)
そして76年の ”招待状のないショー” が凄かったですね。
(80年代の ”ライオンとペリカン” と並ぶ最高傑作ではないかと)
荒井由美の初期4部作も73~76年の発表でした。
ユーミンの楽曲をよく取り上げていたハイ・ファイ・セットの
最初の2枚も75&76年発売。
(当時、男でタツローとかハイファイを聴いてる友人は皆無でしたね。大体プログレかハードロック一辺倒。クラスの女子とLPを貸したり借りたりしてましたよ・・・)
この数年間を過ぎると
次第に洋楽を聴く比率が高くなり
ソウルやジャズにも手(耳)を伸ばすようになったので
日本の音楽シーンからはすっかり遠ざかってしまいました。
さて、この時代の私的ベストのアイテムはというと
BUZZ が 1974年に発表した
”REQUIEM THE CITY" というアルバム。
あまり知られていない作品ですが
それこそA面、B面と擦り切れるほど
レコードを聴き続けたものです。
半世紀近くの時が経過した今でも
最高峰の「日本音楽」
だと、思いますよ。
まちのうた BUZZ