こちらは沢木耕太郎の ”無名”
作者の父の看取りの記録。
若き日の父の記憶と
残された俳句の数々から
父の心中~生前には語られることのなかった
に想いを馳せます。
日本屈指のクライマー
山野井泰史と妙子夫妻の極限の登山行。
ヒマラヤ山脈の未踏の高峰に挑む二人ですが
想像を絶する環境下で、視力を失い手足の感覚も麻痺。
死の危険が刻一刻と迫ります。
どちらも読みごたえのある力作なのですが
表紙が似ているんですね、非常に。
同じ作者の著作でこちら、
なら、分かります。
書かれているテーマに繋がりがありますから。
版元も同じですし。
でも ”無名” と ”凍” の2冊は
中身はまったく別物で
そもそも出版社が異なります。
(装幀は同一の方が担当)
用いられている画は違うのですが
絵のタッチは似ていますよね。
近付けてみると
繋がっているように見える箇所もあります。
なにかしら関連性があるのだろうか?
読み返していると
”無名” にこんな俳句が記されていました。
凍解けぬ残るうからと集ひたし
冒頭の「いてとけぬ」が季語で
雪や氷が溶ける春になれば、家族や親族と会いたいものだ
という意味合いのようです。
どちらの作品も、最後の2行は空の描写です。
ヒマラヤと東京の。
生涯を市井の人として終えた父と
著名な登山家に
どこかしら重なるものを
著者は、見たのかもしれませんね。
また読み直してみることにしましょうか、
なにか浮かび上がってくるものが
掴めるかもしれません・・・