バンコクマインド

タイの過去現在未来と音楽映画書籍の旅

ムムム、日本人には理解の外か・・・ロバート・デ・ニーロ主演の ”ミッション”

 

ローランド・ジョフィ監督の1986年度製作。

カンヌ、アカデミー、ゴールデングローブ、英国アカデミーなどで

受賞している有名作。

 

しかしこれは、観る人(人というより文化圏といったほうが適切か)

を選ぶ映画ですね。

 

 

舞台は南米奥地、時代設定は18世紀となっています。

 

映画の冒頭で

白人宣教師が生きたまま、十字架に貼り付けにされ

川に流されていきます。

 

 

そのまま滝壺へ落下、

いわゆる殉教ですね。

この後に展開されるストーリーの結末を表しています。

 

 

この地で奴隷商人として働くデ・ニーロ。

殉教していった伝道師の後に続こうする

若き伝道僧のジェレミー・アイアンズの情熱に打たれ、

自らもアイアンズが属するイエズス会の一員となります。

 

 

アイアンズやデ・ニーロの努力が実を結び

文明社会から孤立した地に、立派な教会も建てられます。

彼等のミッションは成功したかのように思えたのですが

スペインとポルトガルの対立(現世的な綱引き、駆け引き)に巻き込まれ、

村人達は窮地に追い込まれます。

 

二人はそれぞれの信念で、迫りくる軍隊に対峙していくことに。

 

 

映画の終盤、

アイアンズは村人とともに

軍隊の銃口に歩みを進めていくのですが

これは無抵抗による「抗議行動」いう意味合いではなく、

聖体行進なんですよね。

 

 

この時アイアンズは胸に

モンストランス~聖体顕示台を掲げています。

これはまさに神そのものの象徴であって、単なる装飾物ではありません。

 

 

アイアンズは軍隊の銃口に倒れてしまいますが

 

 

村人の一人がすぐさまモンストランスを手に取り

歩みを続けます。

 

アイアンズに駆け寄って、「大丈夫ですか!しっかりしてください」

ではないんですね。

この段階では個々の命についてはまったく問題になっていないわけです。

神の傍らに身を置いて、命を失うことは至上の悦びなんですね。

 

 

アイアンズが撃たれる様子を

瀕死のデ・ニーロがじっと見つめています。

(デ・ニーロはアイアンズと異なり、可能な限り軍隊に抵抗する)

 

序盤で、自らの生き方を反省し

生死を賭けて切り立った断崖を登っていった

アングルと対になっている構図です。

 

胸にはしっかりと十字架を架けていますが

 

 

権力闘争に明け暮れる指導者たちは

これみよがしに煌びやかで大型のクロスを身に付けています。

 

以前、宗教がモチーフとなっている映画を理解していくことは難しい・・・

的なことを書いた記憶がありますが

この映画などは最たる例ですね。

 

ベルイマンのような作風でしたら

個人の人間ドラマ、心の葛藤として

捉えることも多少は出来ますけど

本作は史実に基づいた骨太の歴史ドラマといったカラーが強いですから

キリスト教文化圏で育っていない人間には

甚だ手強い126分間です。

(いかにも、の表面的な感想は言えるかもしれませんが)

 

私がもっとも印象に残った場面は

 

 

最終シーンのこのカットです。

(村は軍隊に蹂躙され、ほとんどの人間は殺戮されています)

 

バイオリンが浮かんでいますね。

これはアイアンズ達が村人に作り方を教えて、共に演奏を楽しんだ際のもの。

それとは別に川底になにかが沈んでいますよね。

 

 

ジャングルに潜んでなんとか難を逃れた少女が

バイオリンを拾い上げます。

 

 

生き残ったごく僅かな仲間とともに

小舟で新天地へ向かうようです。

手にはしっかりとバイオリンが握られています。

 

シンプルに捉えれば、アイアンズやデ・ニーロは死んでしまったけれど

楽器を通して彼等のミッション~伝道は続いていく

と解釈出来そうです。

映画的にも、綺麗なオチかと。

 

しかし、それならバイオリンだけ映せばいいわけで

川底の”なにか”は不要です。

画面のなかに挟み込む理由はありません。

 

これはいったい、どういう物なのでしょうか?

そしてどんな意味が隠されているのでしょう?

 

 

少女はバイオリンを手にする前に

教会を訪ねます。

 

 

軍隊によって、建物内部は完全に破壊されています。

(少女はしっかりそれを確認した後、川辺へ向かう)

 

 

かつては夜の闇を無数のキャンドルが照らしていたこともありました。

それは純粋でひたむきな信仰心を象徴していたわけですが、

川に沈んでいたのは

キャンドルを灯す際の

蝋燭台、ではないでしょうか。

 

火は水中では全て消えてしまいます。

 

少女は蝋燭台ではなく、バイオリンを手に取りました。

絵的にはこの2つは明らかに選択の対象となっていて、

少女のチョイスがまさに作品全体の肝になっていると

思うのです。

 

しかし、ここが

キリスト教の信者でもなく

その文化圏に育ったわけでもない

自分のような人間の限界です。

 

つまり、少女の選択が

具体的になにを意味するのかまでは

はっきりとは分からないわけです。

 

 

宗教そのものへの懐疑か?

そうではなく、

(あくまで信仰そのものは崇高な行為であって)

個々の人間や国家の在り方を問うているのか?

 

そういうところの奥深くには

切り込めないわけです。

経験値がありませんので・・・

 

いやいや、無暗に長くなりました。

力の入った作品であることは勿論ですし

音楽(エン二オ・モリコーネ)も評価高いですから

未見の方は機会がありましたら、どうぞ本編を。

 

The Mission      Trailer

www.youtube.com