ティナ・ターナーが亡くなりましたね。
(November 26, 1939 – May 24, 2023)
ロックンロールの女王 という称号があったようですが
むしろ、ど根性クイーンといった印象があったりしましたね。
"Nutbush City Limits " Tina Turner
ラーメンでいうと二郎系
トッピングで背油とかニンニクをマシマシ
みたいな。
私生活も波瀾万丈
旦那(アイク・ターナー)からは
壮絶なDVが続いていたようで。
ジャズ・ミュージシャンのウェイン・ショーターの評伝に
こんな一節が。
「1976年夏のある日、ウェインがツアーから戻ると、自宅のキッチンの床を、ソウル・ディーヴァ、ティナ・ターナーが磨いていた」
ティナはアイクの暴力を避けるために
ウェインの家に避難、数か月間滞在していたそうです。
「炊事に洗濯に掃除、なんでもやっていたよ」
「たぶん、ティナはうちにいるときに初めて経験したんじゃないかな。誰にも監視されず、誰からも命令を受けずに、自分ひとりでいるということをね」
とはウェインの弁。
苦難の時代を過ごしたティナの80年代のカムバックは実に見事でしたね。
"What’s Love Got To Do With It " Tina Turner
近年は体調の優れない時期が続いたようですが
ハービー・ハンコックの2007年の名盤
”RIVER~THE JONI LETTERS"
では、ジョニ・ミッチェルの難曲を
見事に歌いこなしています。
"Edith and the Kingpin" Herbie Hancock featuring Tina Turner
この路線でアルバムを一枚作っていたら
ロックンロールの、というカテゴリーではなく
超絶クオリティの
JAZZ~BLUES作品が誕生したでしょうね。
“ボサノヴァの女王”
アストラッド・ジルベルトも世を去りました。
(29 March 1940 – 5 June 2023)
奇しくも生年月日もティナと、僅か数か月違いですね。
"Corcovado" Astrud Gilberto
アストラッドは父親がドイツ人ということもあって
風貌がヨーロッパ的ですよね。
言語学の教授だったお父さんの影響で
数か国語に堪能だった彼女は
まさにブラジル音楽~ボサノヴァの
良き紹介者でした。
反面、レコーディングの多くはアメリカで行われていたので
ブラジル国内での評価、立ち位置というのは
やや微妙なところがあるかもですね。
「女王ですって? それは私のことでしょう」
と心中穏やかでない歌い手が
何人も居そうです・・・
"Girl From Ipanema" Astrud Gilberto with Stan Getz
また、当時の夫だったジョアンや
などの存在も大きかったですよね。
なにより、その時その場に居たという。
アストラッドは
ここ20年ほど
新作のリリースはありませんでしたが
ラストのアルバム(2002年)から一曲。
"Como Fué" Astrud Gilberto
英語ではなく
ブラジル語で歌われていて
素敵ですね。
参考書籍
「フットプリンツ 評伝ウェイン・ショーター」
ミシェル・マーサー著/新井崇嗣訳・潮出版社
「ラテン音楽パラダイス」