びっくりしましたね。
エリック・カルメンが亡くなったと。
60年代からバンド活動をしていた人ですが
なんといっても70年代に華やかな足跡を残しましたね。
前半はラズベリーズというグループを組んで
4枚のアルバムを発表。
"I WANNA BE WITH YOU" (1972) THE RASPBERRIES
実質3、4年の短命でしたが
数曲をトップ40ヒットにしています。
1975年にファースト・ソロアルバムを発表しますが
私、買ったんですよ当時(LPレコードのことね)
"LAST NIGHT" (1975) ERIC CARMEN
とても良質の仕上がりで
アメリカでもかなり売れたんですね。
(有名な ”オール・バイ・マイセルフ” のオリジナル版も収録)
シングルヒットも何曲か生まれましたし
アルバム収録曲を他のアーティストがカバーして
そちらもヒットしたりと
順風満帆のスタートだったんですが
"CHANGE OF HEART" (1978)
以降は商業的に下降気味、
やがて作品自体のリリースが無くなってしまいます。
(70年代に発表された4枚のソロアルバムは全部買いましたけれどもね、律儀なことに)
この人はキャッチーな曲を作る才能に恵まれているんですが
故に、あくまでロックミュージシャンでいくのか
ポップなシンガーとしてのカラーを強調していくのか
立ち位置がちょっと微妙だったような
印象がありましたね。
このまま過去の人に・・・と思っていたところ
80年代後半に
”ハングリー・アイズ” ”メイク・ミー・ルーズ・コントロール”
と2曲の大ヒットを放ったのはさすがでした。
特に後者は傑作で
「ヒット曲はこう作れ」といった
教科書的作品です。
"MAKE ME LOSE CONTROL" (1988)
振り返ってみると
アルバム単位では
やはり75年のファーストソロがベストワークかと。
(それにしても半世紀も前のことなのだなあ)
まったくジャンルも時代も違うのですが
テナーサックス奏者の稲垣次郎も亡くなっていたのですね。
(1月に90歳没)
この方はかの ”ハナ肇とクレージー・キャッツ” の
創始期メンバーでもあった人ですね。
(ハナ肇とキューバン・キャッツ名義で1955年に結成後、谷啓や植木等が入れ替わる形で加わった)
戸井十月著の「植木等伝 わかっちゃいるけど、やめられない!」(小学館文庫)
には当時の日本のジャズシーンについて
植木やハナの面白いエピソードも交えて語られています。
”恋はフェニックス”(1969年) 稲垣次郎とオール・スターズ
偉大なる二人のミュージックマンに
リスペクト&アプローズ !