私には同時代の手塚治虫体験が
ほぼありません。
1989年に亡くなられていますので、
戦後間もない頃の作品群は別としても
1970年代の人気作品
「ブラック・ジャック」や
大作「アドルフに告ぐ」、
未完に終わった「グリンゴ」
などには、いくらでも”夢中になる”
ことができたはずなのですが。
おそらく当時の自分にとっては
盛りを過ぎたというか、
手塚作品に対して、古臭い印象があったのかもしれません。
じっくりと作品に目を通すようになったのは
胃がん(享年60歳)で亡くなられた後のことです。
画力がある
描くスピードも速い
ストーリー構成が上手い
ネタが尽きることがない
肉体も頑健
若い世代への対抗心も強烈
優れたアシスタント、裏方スタッフの存在
という要素が重なって、圧倒的なボリュームの作品を
作り続けてきた結果、
あまりのハードワークに身体がついに
悲鳴をあげてしまったわけですが。
壮絶なまでの締め切りに追われる日々を追った
テレビのドキュメンタリーで、
”アイデアはいくらでも湧いてくるんだ。
でも体力が・・・”
というニュアンスの発言があります。
もしあと10年、20年の時間があったなら
どんな作品を残されたでしょうね。
多分、頭の中に幾つもの構想があったはずです。
手塚作品の根底にある
生きることへの絶対的肯定~人生賛歌の集大成
になっていたでしょうか。
もしかしたら、抽象的なシュール路線だったかも
しれません。
あるいは極端にシンプルな、それこそ
スケッチのようなものだったりして。
または全精力をかけて、アニメーションに再度
取り組んだのかもしれません。
でも、ご本人はきっとこう言うでしょうね。
”僕は全部、やりたいんですよ”
とニッコリ微笑んで。
「告知せず」山内喜美子(文春文庫)
奥さんの悦子さんからみた手塚の闘病の日々が記されています。