鴨志田穣という作家が居ました。
一時結婚していた漫画家の西原理恵子と
かなりの数の共著があります。
個人名義の作品としては
自身のアルコール依存症の体験がベースになっている
”酔いがさめたら、うちに帰ろう” がよく知られているところ。
鴨志田と西原の壮絶な家庭生活については
2本の映画作品でも描かれています。
酔いがさめたら、うちに帰ろう
鴨志田は80年代後半から90年代中頃にかけて
バンコクで暮らしていました。
(西原との出会いも、この時期のバンコクでのこと。取材でタイを訪れていた西原を屋台に誘ったことから親しくなった)
著作のなかで度々、タイ滞在時の生活が語られています。
”日本円で十円そこそこだろうか。ママーというタイのインスタントラーメンがある。奴(同僚のタイ人)はそのインスタントラーメンを物の見事に立派な焼きそばに仕立ててくれるのだった。<中略>チープでどうしようもないのだけれど、とても美味しかった。”
”先日、奴の真似を突然したくなって、家にあったうまかっちゃんで試しに作ってみた。奴の味には全く追い付いていなかったが、サイバラは瞳を輝かせて数分で食べ尽くしていた。” 「ばらっちからカモメール」(スターツ出版)
鴨志田はバンコクを拠点として活動していた著名ジャーナリスト、
橋田信介のもとでカメラマン/ジャーナリストの弟子修行をしていたのですが
こちらはその橋田についての著作。
私は80年代後半から90年代にかけてはバックパッカーとして
ちょくちょくタイに行っていましたので、ローカルな酒場や食堂で
お二人と擦れ違っていたかもしれません。
30数年前のタイではビールは高級品。
メコンという国産ウィスキーを炭酸で割って、舐めるように飲むのが定番でした。
ふとガタガタの椅子の下を見れば巨大なゴキブリが這いまわり、
下水溝口には、これまた丸々と太ったネズミの(集団)の姿が・・・
橋田信介はイラクのバクダッド近郊で取材中、武装集団の襲撃を受けて
2004年に、
鴨志田譲はアルコール依存症に依る入退院を繰り返した後
2007年に
亡くなりました。
文藝春秋2016年3月号