これはですね、厳しい~
観るのがある意味
難しい映画です。
舞台は1960年代(おそらく67年か68年あたり)の
アメリカの田舎町。
ユダヤ系家族の物語です。
マイケル・スタールバーグは大学の物理学教師
いたって真面目で穏やかな性格です。
ところが妻がいきなり離婚を切り出します。
家に居候中の兄は警察に捕まってしまいます。
二人の子供もそれぞれに問題を抱えていて
マイケルは心中、穏やかではありません。
ある学生は単位を金で買おうとして
現金の入った封筒をマイケルの机に置いていきます。
隣人とのトラブルも発生して
どうにもならなくなったマイケルは
ラビ(ユダヤ教の指導者)や弁護士のもとを訪れて
悩みを打ち明けるのですが・・・
全編にわたって宗教~ユダヤ教に関する事項が
多く登場し、ヘブライ語も頻繁に使われます。
それらについての知識があれば
思わずニヤリ、あるいは爆笑する場面が
これでもかと(おそらく)詰め込まれているのですが
自分はそうではないので、受け止め方にズレがどうしても
出てきてしまうのですね。
しかし難解かというと、そうではなく
(さすがコーエン兄弟、そのあたりは抜かりがありません)
誰が観ても
ストーリーの進行についていけるようにはなっています。
登場人物の動きにコメディ性を持たせているので
見た目だけでも、面白いシーンが続きます。
(スタールバーグは控え目のロビン・ウィリアムスのような演技)
しかしそれでも一筋縄ではいかないところがあって
大学の授業でマイケルが
シュレーディンガーの猫(方程式)を
講義するカットがあります。
コーエン兄弟が意味も無く映すわけはありませんので
物理学の知識も必要ということになってきてしまいます・・・
思うに(分かっていない人間が言うのもなんですが)
この映画は、
寓話の積み重ね
なんですね。
映画の冒頭や
ラビの話す内容に
様々な寓話が含まれているのですが
マイケルに降りかかる様々な災難、
それは比喩やたとえ話ではなく
実際に起こっている事象であるのだけれども
それを含めて、人生は全て”寓話”で構成されているのだ
というメッセージがあるのではないかと。
では道徳的なオチが用意されているのかというと
(マイケル自身は極めて真っ当な人間であり、トラブルの原因は彼にはないように
見えます。マイケル自身もそう思っており、「俺はシリアスマンなのに!どうして、ど
うしてこんな目にあわなくてはいけないんだ」と叫ぶ場面が何回かあります)
残念ながらそうではなく、
バッドエンドを予兆させるエンディングになっているのが
これまたコーエンの真骨頂。
マイケルは結局、生徒からの賄賂を受け取ってしまうのですが
不吉な雨雲が更なる混迷の世界を暗示しているように思えます。
使用されている楽曲
ジミ・ヘンドリックスやジェファ―ソン・エアプレインについても
触れたいところですが
キリがありませんね・・・
何回か観直してみても、やはり分からないでしょう、私には。
繰り返し観ると分かってくるというタイプの作品もありますが
それともまた違いますので。
でもまた、観てみよう・・・
罪作りな映画であります。