”こわれゆく女~A Woman Under The Influence”
ジョン・カサヴェテス監督の1974年作品ですが
これは強烈ですよ。
ある意味、映画史に残る孤高の一本。
ちなみにカサヴェテスは俳優としても知られていて
”ローズマリーの赤ちゃん"での
ミア・ファーローの旦那さん役
”刑事コロンボ”での犯人役などなど。
ハンサムでスタイルの良い人ですよね。
さて、通常
映画(ドラマ)は
コロンボシリーズがまさにそうであるように
登場人物のキャラクターがきっちり造形されています。
で、それに見合った役者さんが起用されるわけですね。
シリーズものでなくとも
大体初めの30分~1時間くらいを観れば
各登場人物のおよそのキャラが掴めて、
観る側が、感情移入が出来るようになっているのが普通です。
(がんばれ~とか可哀そう、危ないぞ、負けるな等々)
しかし、この ”こわれゆく女”
特に主役のジーナ・ローランズには
なんとキャラクターが与えられていないんですね。
〇〇すべき、△△するだろうといった
役柄が設定されているのではなく
瞬間瞬間の感情の突出(&それに突き動かされた立ち振る舞い)を
カメラはひたすら追うだけです。
旦那さんにはまたまたピーター・フォーク。
夫は妻を愛しているのですが
どこか、ローランズの表情や仕草が変なんですね、
最初のシーンから。
夫婦には3人の子供が居て
ローランズは彼等を愛しているように見えるのですが
感情の起伏が激しく
周囲の人間は、彼女の次の行動が予測できません。
夫や親族、友人たちも
それ(ローランズが精神のバランスを崩していること)に気づいているのですが
どのように接していいのか
当惑しています。
天使のような表情で踊り始めたかと思うと
次の瞬間には表情が一変し、気持ちの高ぶりを抑えることが出来ません。
この日常が延々と描写されるわけです。
観る側もローランズの言動についていくだけで精一杯、
筋立てに緩急がついていませんので、「盛り上がる」場面も
特に用意されていません。
さて、三人の子供たちはというと
そんなお母さんを自然に受け止めています。
ここがカサヴェティスの凄いところで
普通ならば、子供たちのエモーショナルな演技を必ず
話の主軸に置きたくなるはずです。
「お母さん!あの優しかった頃のママに戻って」
「パパ、ママをなんとかしてあげて!」
泣いて、叫んで・・・
という場面の連続の挙句
最後は感動のフィナーレへと突入するのが常道。
しかし実は一番冷静なのが
子供たちで、彼らは受け入れてるわけですね。
「うちのお母さんはちょっと普通じゃないかもしれないけれど、でもそれがママなんだよ」と。
ちなみにローランズは実生活でカサヴェテスの奥さん。
他の出演者もスタッフの家族を起用したりしていています。
日本でこの役をやるとしたら
大竹しのぶ、でしょうかねえ。
いわゆる「映画らしい映画」を観たい時には
まったく不向きですが
一見の価値ありの
記念碑的作品であることは間違いありません。
(時間、結構長いですよ。2時間半以上あります)
予告編