日本映画史上、最高峰の女優といえば
それは原節子でしょう。
特に小津安二郎監督とのコンビネーションは
あまりに完璧で、
評論家の研究本や関係者の著作なども
膨大な数に上ります。
海外各国でも詳細な言及が為されていますし。
今日はそんな原節子の ”齢の重ね方” を
小津作品で観てみましょうか。
晩春
1949年の ”晩春”
他監督の出演作含めて
20代最後の頃の輝くばかりの美しさ(可愛さ)が
記録された永遠の名作ですね。
かなりシースルーの衣装を着ている場面もあって
セクシーです。
2年後の”麦秋”
原節子が出演した小津作品のなかでは
コメディ色が強いライトな一作。
まだまだ十分若々しくて、おきゃんな魅力が発揮されています。
(三宅邦子がまた美しい!)
日本映画のナンバーワンに挙げる人も多い
”東京物語”(1953年)
ここでの原は未亡人という設定もあるのでしょうが
前二作と比べると落ち着き払った
慎み深い演技に徹しています。
しかし、その美しさに変わりはなく。
この映画では主役の立ち位置ではないのですが
原節子が居なくては、作品の魅力は大きく減じてしまったでしょう。
東京暮色
明かな変化は1957年の ”東京暮色”
生活の色を感じさせる主婦の顔つきや動作になっています。
この時の原は36歳になっていて
素敵で可愛いお嬢さん~という役柄を演じる時期は
過ぎてしまっています。
東京暮色
監督やスタッフは勿論そのことを含んで
脚本を書き、演技指導にあたっているわけですが
原節子本人はどう受け止めていたのでしょうね・・・
1960年の ”秋日和”
ここでは役柄が司葉子の母親~お母さんになっています。
この時点で40歳。
ここでの原は、アパートで独り暮らしをしています。
祭りの後の寂しさといった風情ですね。
原節子の小津作品への最終出演作は
翌年の ”小早川家の秋” ですが
このラストシーンは強烈です。
義父(中村鴈治郎)の葬列で
司葉子 (中村の娘)と二人、最後尾を歩く原。
(他の親族から大きく離れています)
司とのやり取りのあと
「さ、行きましょう。あんまり遅れてもいけないわ」
と呟く原を、橋げたの下から(お馴染みのローアングル)
捉えたショットの後に、
いきなり石仏のうえにとまって
鳴(泣)声をあげている鳥を映して「終」
これは濃密な歳月を過ごした
監督と女優の関係性の終焉と
監督自身の生命が尽きようとしていることを
映像化しているわけですよね。
(小津監督は1963年に病死、原節子はその後映画界から完全引退)
私は小津作品、原節子の出演作(小津作品以外にも多数出演)の
マニア~熱心なファンとは言えませんけれど、
しかしこの二人が成し遂げた映像表現が
空前絶後の領域であることはよく分かります。
セリフのひとつひとつにも
実に深い味わい、意味合いが含まれています。
でもその細部の分析は専門家の方たちに任せるとして
ただただ、不世出の映画人二人が創り上げた
フィルムの中に身を任せることにしましょう・・・
参考図書
「君美しく」(川本三郎著/文春文庫)