バンコクマインド

タイの過去現在未来と音楽映画書籍の旅

YTさん雑感~逆立ちのダンサー

 

YTさんについて、こんなに大きく取り上げられる日が来るなんて、以前だったら想像も出来なかったですよね。そういう話題からは遠い場所に居る人だとイメージしていましたから。

 

私は氏のファースト&セカンドソロ(1976、77年発表)を当時アナログ~LPレコードで買っていましたので、どちらかというとオールドファンの部類でしょうか。この2枚はオリコンチャートでも50~60位ランク、シングルヒットが出たわけでもありませんので、正直印象としては地味でした。中味については掛け値なしに素晴らしく、何百回とレコードの針を下ろして聴き込んだものです。今手許にあるのはCD盤ですけれど。

 

今回ラジオ番組で話された内容が文章に起こされていますね。その整合性については相当批判の声があがっているようです。確かに突っ込みどころが多々見受けられるように思うのですが、敢えてそうせず表明されたメッセージをそのまま受け取った結果の、自分なりの感想をつらつらと。(意見、批判といった大袈裟なものでなく)

 

この発言(文章)によりますと、氏はご自分が多大なるリスペクトを捧げている人物が社会的に大きく報道されていることについて、関心をお持ちでないようです。(興味が無い~だからニュースも見ない、聞かない、読まない~従ってコメントの出しようもない)

 

そうであれば、自身に直接関係の無い人々についての各種報道については、より無関心ということになりますね。戦争があっても大規模な自然災害があっても、それらによって多くの命が失われようが飢餓が発生しようが、まったく興味、関心を抱くことはないという表明をされているのだと(私は受け取りました)

 

氏の興味、関心はご自身が納得できる音楽作品を創り上げる環境の実現とその維持に集中されているのでしょう。

 

「作者と作品は別(作品に罪は無い)」という捉え方についてはまさにその通りで、そこの部分をリンクさせてしまうと、あらゆる表現者のプライベートな部分を全て知り得ないと安心して作品に接することが不可能になってしまいます。現実的に不可能ですし、犯罪(そこまでのレベルでなくとも眉をひそめるような&あまり称賛されないような)行為をとった人物が、世の東西を問わず数々のマスターピースを創作してきているのは紛れもない事実。

 

YTさんについて言えば、ですので作曲や編曲面での評価が自分のなかで変わることはありません。しかし気になってしまうのは(一部の楽曲の)歌詞でしょうか。氏の作品にはファンタジーではなく、実際にこの世界で起きた事柄をテーマ(モチーフ)にした作品群があります。(歌詞において特定の事象についての言及はされていませんが)それらの楽曲はファンのあいだでも人気があり、その歌詞世界に共感を覚えたり励まされたりした人も少なくないはずです。

 

美しいラブソングの歌詞を産み出すにあたって、作者の実体験が反映されている必要性はまったくありませんが、前述のような楽曲の歌詞についてはその事実関係についての内容確認や比較検討、自身の考えを深めていくという過程が欠かせないはずです。そのうえで、推敲を重ねて限られた言葉数の歌詞世界に絞り込んでいく~それでこそ音楽職人、アルチザンとしての矜持を発揮したことになるのではないでしょうか。YTさんの創る音楽はとても多くの人の耳と心に届くのですから。

 

氏のステイトメントに沿って解釈すると、メッセージ性のある(少なくともリスナーの多くがそう感じる)歌詞については、残念ながらその魅力が減じてしまったことは否めません。平たくいってしまえば「適当に作っていたのか」ということになってしまいますので。(否、そんなことはない。しっかりリサーチしたうえで自己のスタンスを定め、最終的な歌詞に仕上げている~のであれば、今回の事件についての発言内容に齟齬が生じてしまう)

 

・・・いやいや戯言が長くなってしまいました。

 

40数年前、夜更け過ぎに

ポータブルステレオで飽きることなく聴き続けた

 ”夏の陽” や ”言えなかった言葉を” 

の音世界が

微かに浮かんでは消えていくばかりです。