1970年製作の ”どですかでん”
黒澤明監督の初カラー作品ですが
興行的には失敗。
評価のほうも一般的にはあまりよろしくなく、
ちょっと風変わりな出来映え
との捉え方がされていますね。
原作が山本周五郎の ”季節のない街”
文庫本で400頁を超える
なかなかのボリュームなのですが
登場するエピソードを半分ほど削って
かなり忠実に映像化がされています。
「異説・黒澤明」文藝春秋編・文春文庫ビジュアル版
「複眼の映像」橋本忍著・文春文庫
人気のある ”七人の侍” ”用心棒” ”生きる” などと違って
明確な起承転結が無いストーリーなので
評論家、研究家の記述もバラバラ。
そのなかで佐藤忠男の著作では
非常に精緻な分析が行われていて
読み応えがあります。
以下は私個人の勝手解釈なんですが
(石を投げないでね)
この映画って
「お前たち~監督の周囲の人間や観客~は、俺のこと、分かってないんだよ。俺はな、映画を撮る時には夢中になって徹底的にやるんだよ。でもそんな俺の気持ちをだな、理解出来ない連中が居るのさ。俺から言わせると、そういう奴等こそ不思議に見えちゃうんだよなあ。けどそれをさ、俺が自分で脚本書いて表明したら角が立つだろ。なのでお気に入りの小説を原作にしてさ、思いの丈をぶちまけてるんだよね~」
ということなのじゃないかなと。
映画の冒頭で
六ちゃん(頭師佳孝、名演!)という人物が出てくるんですが
自分は路面電車の運転手だと信じ込んでるんですね。
で、近所の人たちから
変なやつ~「電車ばか」と呼ばれています。
母親(菅井きん)も、心配でたまらない。
でも、ここが重要なのですが
六ちゃんはなにか疾患を抱えているわけではないのですね。
あくまで電車を運転している(という行動を取っている)時のみ
”入れ込んじゃう” だけなんです。
そうでない時は極めて冷静なんです。
六ちゃんはまさに黒澤監督そのものなんですね。
「俺は映画に関しては妥協を一切しない。周りから見ると変に思えるのかもしれないが、そんなことはないんだ」
という。
で、六ちゃんは
近所の各家庭を周っていくんですが
そこでは実に
様々なタイプの人間が居て
時に奇妙な、時にシリアスな、時に調子っぱずれな
ドラマが展開されているんですね。
これを称して
ペーソス豊かとかメルヘンチックとか
人間賛歌として観てる人が多いようですが
そうではなくて
六ちゃん~黒澤監督の視点からすれば
ただ単に変&理解不能な人たちばっかりなんですよ。
別に愛情込めてハートウォーミングに描いているのではないと
思うんですよね。
こういった
「オイラから見るとさ~」
といった作品って
のちの ”乱” とか ”まあだだよ” もそうですよね。
初期~中期は
エンタメ色(楽しんでもらおうという工夫&仕掛け)が明確でしたから
観易いんですけれど
70年代以降はその辺りが薄れてきて
「まずはさ、俺の言いたいこと、これを分かって貰わないとね」
といった意識(前説)が
強く打ち出されてくるんですよね。
なので、ちょっとね
辟易してしまうというか
引いてしまうことがあるかなと。
体力的に限界が見えてきたことと
監督自身のなかに他者への「飽き」が
増してきたという点もあるような気もしますね。
以上
あくまでど素人の
ボヤキ、呟きですので
読み飛ばしてくださいませ・・・
”どですかでん” 予告編