バンコクマインド

タイの過去現在未来と音楽映画書籍の旅

ポールの後に二ルソンがビートルズのメンバーになっていたら・・・

 

“ウィザウト・ユー” ”うわさの男” の二大ヒットで知られる

(ハリー)・二ルソン

一時、ポール・マッカートニーの後釜として

ビートルズに加入する、なんて話もありましたね。

 

特にジョン・レノンは大のお気に入りだったようで

二人の交友は70年代に入っても続くことになります。

 

で、実現しなかったビートルズ入りなんですが

そう噂されたのも、非常に肯けるかなと。

 

Don't Leave Me       Harry Nilsson

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二ルソンの1968年発表のアルバム曲なんですが

ビートルズに不協和音が鳴り始めた頃ですね)

メロディがですね、

ジョンが書かない&しかしポールが書きそうな作風ですよね。

 

Together

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1969年の映像ですが、

曲もさることながら、外見~全体の雰囲気も

ポールに似てますよね。

 

二ルソンは声のレンジも広いですし

ボードビル~ミュージカル調からカントリータッチ、メロディアスなバラードと

作品の幅も多彩。

 

ジョンがですね、

”こりゃー、いける!

となったのも自然かなと。

 

しかし二ルソンの全盛期は短く

(アルコールやドラッグ、糖尿病の発症)

70年代中頃には人気も失速してしまいます。

 

Many Rivers To Cross

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ジョンがプロデュースした74年の "PUSSY CATS" から

ジミー・クリフの有名曲のカバー。

(”マインド・ゲームス”に似たアレンジですね)

 

二ルソンの声はすっかり潰れてしまっています。

 

1980年代以降はアルバムのリリースが途絶えてしまい

1994年の年明けに、52歳の若さで死去。

亡くなる直前までカムバック作のレコーディングを続けていて、

それらのマテリアルは亡くなってから

ほぼ四半世紀が経過した2019年にようやく日の目を見ました。

 

Listen,The Snow Is Falling

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オノ・ヨーコ

”ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ”

をトロピカルに仕上げています。

 

ジョンとハリーがフロントに立ったビートルズ

見てみたかった気がしますね。

 

I Guess The Lord Must Be In New York City

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